常日頃のことを季節の変化と交えて記す
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 もう師走になってしまいましたが… 11月28日にブログを更新しようと、少し綴ったまま、ずっと眠気に勝てずこの状態でした。 11月15日に行いました、野池(下)の池揚げ風景です。 野池(下)には、三歳から四歳までの立て鯉を放養していました。 この池の場合は、地引網を曳いて、網で囲ったぐるりから手づかみで鯉をビニールプールへと移し替えます。 野池の向こうは、播磨灘を挟んで明石から姫路にかけての街並みが眺められます。 ですが、街並みを愛でる、というよりも、播磨灘に浮かぶ島々や、明石海峡を行き来する大型船や、漁る漁師さん、その周りを飛び回る鳶や鷺たちの姿などをのんびりと眺めています。 特に、播磨灘へと沈んでいく秋の夕日は、見事なものです。 その美しい景色を背に、餌やりをゆったりと時間をかけてしておりました。 こんな野池生活。 また、春が来たら、この生活が始まります♪ 春までしばし、この景色はお預けです。 正井養鯉場 http://sanke.jp PR 『野池(下)の池揚げ』を先に記すべきなのですが、今回は、感情が高ぶっているうちに、記さねばならないと思ったことをば。 昨日、娘の七五三のお祝いを打出天神社にてさせていただきました。 うちの娘も、お蔭様で無事三つになったと、感慨も一入です。 その天神社は、娘を出産した産院の斜め向かいにあります。 ちなみに産院のお向かいは、村上春樹氏の『風の歌を聴け』の舞台にもなっている「お猿のいる公園」(今は、お猿居ません)です。 出産前、一ヶ月ほどその産院に入院していたのですが、その病室の窓辺から毎日、天神社に赤ちゃんが無事に産まれることを拝み続けました。 産院のお医者様からは、 「ベストを尽くしますが、前置胎盤の上、母体の状態も芳しくないので、万が一のことですが、出血多量になると母親の命は潰えますので覚悟してください。」 とのことでしたので、子どもだけは無事に産まれて欲しい、と。 なので、娘の名前は、出産前に正井と二人で考えたのですが、 菅原道真公の御神詠歌から引用させていただきました。 「東風ふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」 親は、「あるじ」ではないのですけれども…。 死に対する覚悟はしていたのですが、お医者様のお蔭で、命根性もしぶとく、今に至ります。 娘も、出産時のリスクは大きかったのですが、その後、大病もなく、無事に元気に丈夫に育ってくれていますので、本当に全てに対し、感謝でいっぱいです。 この調子で、スクスクと無事に育って欲しい一念です。 打出天神社では、お宮詣りの時と同様に、一家族ごとに丁寧に神事を執り行ってくださいました。 祝詞も恭しく、心静かに神様に奉じるつもりが、当の本人さんは、お草履でタップの如く、石畳を踏鳴らし続ける、といった神主さんの祝詞を掻き消す勢いのお行儀の悪さ。 「どうか、こんな娘にも神仏のご加護を賜わりますように。」 と、強欲なキクは、祈願いたしました。 こうして、なんとか滞りなく!?娘の通過儀礼を納めさせていただきました。 また、その前日、私はもう一つの通過儀礼の場に立ち合わさせていただきました。 舞妓さんが芸妓さんになる儀式までの僅かな期間に、舞妓さんが特殊な髪形をして、黒紋付を着、鉄漿で『黒髪』を舞われたのを鑑賞致しました。 その舞は、至極強い、力強いものでした。指先に至るまでエネルギーが充満し、凛とした玉鏡のよう。舞を通して、芸妓さんへとなる決意の現われが強く強く感じ取れました。それは、霜楓のようにも見て取れました。 両日共に、稚児と一人の女性の人生の節目に居合わせることが出来たことを、この貴重な体験をさせていただいたことに、感謝いたします。 野池(中)の池揚げ風景の続きです。 次に、トラックが止まっているところまで、小さなトップカーで移動し、トラックの傍へ着けます。 エアーがちゃんと噴いているかを確認し、 鯉をトラックに設置している水槽に移動し、 全員水槽に入ったかを確認し、 水槽のチャックを閉め、 完了です。 さあ、トラック出発! 半年振りの我が家へ(正井養鯉場内に)、帰りましょう♪ でも、鯉たちにとっては、野池が我が家なのか、コンクリ池(泉水)が我が家なのか??? どっちなのでしょう? 産卵池が、生家で、 稚魚池が、下宿先で、 コンクリ池のボイラー焚き泉水は、ぬるま湯の快適な実家。 そこから、春になれば出張して半年間筋力トレーニングをしに野池へ。 つまり、出張先が野池なのだと思うのですが… 転勤族な錦鯉。 気象庁職員か、銀行員か、保険員か… (私の小学生並みの想像力) 野池は、選ばれし錦鯉たちの英才教育の場なのであるし、 野池は、英国のパブリックスクールみたいなものなのかしら? はたまた… 錦鯉たちは、どう思っているのかしら… ともあれ、錦鯉達が野池・コンクリ泉水のどちらに住んでいても、快適に過ごしてもらえたらなぁと、その環境作りに試行錯誤する毎日です。 正井養鯉場 http://sanke.ojaru.jp 正井養鯉場、野池(中)の池揚げ風景です。 大きな網で二歳の鯉をすくい、ビニールプールへ入れ、ある程度鯉が溜まったら、バケツリレーならぬ、鯉渡しリレーの始まりです! 水深の低くなった野池の底から陸地へと4人で鯉を揚げていきます。 3メートルほどの高低差に梯子をかけ、ビニールに入れた鯉を手渡しで順に引き揚げていきます。 落とさぬように、それ渡せ♪ 落とさぬように、それ渡せ♪ 陸には、小さなトップカーの上に小さな水槽を載せており、その中に鯉を入れます。 二歳ならば、15匹ほど小さな水槽に入れたなら、満杯です。 さあ、一旦トラックへと出発です。 正井養鯉場 http://sanke.ojaru.jp 11月14日に大正三色の二歳を放養した野池(中) 15日に三・四歳の大正三色と昭和を放養した野池(下) の池揚げをしました。 両日共に天候に恵まれ、池揚げ日和となりました。 ただ、11月半ばとは思えない、あまりにも暖か過ぎる気候に戸惑いつつも、池揚げは為果せました。 お陰様で順調に育ち、毎年のように無事に全員揚がってきてくれた鯉たちを褒めちぎりました。 14日は、水の抜け具合が悪く、午前9時30分から網を入れる予定が、一時間以上開始が遅れてしまったり、藻の中に鯉達がかくれんぼするなど、少々てこずりました。 お昼過ぎからは、池の水を完全に抜きながら、水路から流れてくるドジョウをすくいました。来年に向けての野池対策(ドジョウに鯉さん達の餌を食べられないように)と、釣りの餌にドジョウが欲しいと希望された大山さんへ送るためです。 大量のドジョウだけでなく、大きな蟹(とても美味しいらしいです)も二匹獲れました。少しのドジョウと大きな蟹たちは、正井方甥っ子の幼稚園に持って行ったらしいです。 池揚げされた鯉たちは、その後、半年振りのコンクリ池に帰郷。 消毒され、泉水の中を元気に馴染んで泳いでおります。 写真は、野池(中)の池揚げ風景です。 正井養鯉場 http://sanke.ojaru.jp |
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